ARICA Qualityの雑記帳

人材育成支援、コールセンター業務支援を生業とする個人事業主の日々思うこと、感じることを気の向くままに記録しているblogです。

【片側顔面痙攣闘病記⑦】入院準備~入院初日(手術前夜)

 手術日、入院日が決まり、必要な術前検査もいつも通院している病院で受けた後、実際に入院・手術する病院から連絡がありました(通院している病院では非常勤である医師が常勤の別の病院で入院手術するため。詳しくはで)。

 書類を送ってくれることと住所の確認、当日は10時までに行くこと、家族は病室には入れないこと、パジャマやタオルなどはレンタル制(有料だけど)で持参不要といったことなど、重要なことの説明と部屋の希望を聞かれました。書類は数日後に届きいよいよ「入院だー」という気持ちになってきました。

 

 事前に準備が必要な「限定額適用認定証」やレンタルwifiの手配など、細々としたことを順次進めていきました。その他、母が入院時の医師の説明と翌日の手術までは来てくれるというので、病院近くのホテルの手配とか。

 

 そして入院当日、前日来てくれた母とともに病院へ。病院はこれまであまり行ったことのない地域でしたが、10時までには病院に着きました。待合室は既に多くの人。受付→抗原検査→検査→入院手続き→医師からの説明という流れだったのですが(確か)、結構時間がかかりました。周囲は患者さんがお年寄り、若い人が付き添い。ペアは同じだけれど、若い方が患者、いかにも患者風の年寄りが付き添い、という逆パターンの組み合わせだな、と思って少し可笑しくなりました。

 抗原検査(初めてだった)で無事に陰性が出た(らしく)、いよいよ入院手続きを済ませ、母とともに医師の説明を受けることになりました。母はどこか緊張した様子。

 これまでも必要なことやざっくりとしたことは聞いていましたが、さらに細やかに手術の方法や起こりうることなど、とても丁寧に説明してくださいました。母は途中からポカーンとしていたようにも見えたけれど。

 説明が終わり、サインする書類を渡され、いよいよ病室へ。ここで母とはいったんお別れ。見知らぬ土地に一人で放たれる母が心配だったけれど仕方がない。母を見送り病室へ。昼食の時間で、既に用意されていました。想像よりも美味しくて安心しました。

 諸々と説明を受け、シャワーにも行き、あとはのんびり明日に備える、という感じです。朝からの疲れがあったのか、夕方からうとうとしたりテレビを見たりと、本当にのんびりと過ごし、21時の消灯時間。日頃の生活からすると早いけれど仕方がない。寝てはみたものの、慣れない環境だからかそれとも緊張なのか、途中何度か目覚めてしまいました。とはいえ、しっかり眠れたと思うけれど。

 いよいよ明日は手術。

【片側顔面痙攣闘病記⑥】ボトックス注射3回目‐手術日決定‐

 2回目の注射から3か月。前回手術のことを尋ねたけれと、医療ひっ迫もあって連絡せぬまま、予約した日に病院へ。

 1回目で目が開きにくくなり、前回の2回目で打つ位置を調整してもらった後は問題なかったので、2回目とほぼ同じように打ってもらいました。

 

 そして、再度手術について前回よりもう少し詳しく質問。できればゴールデンウィーク明けに手術をしたい、そこを逃すと仕事の関係で秋まではできない、と伝えると、前回よりも手術日が増えていて(週1日→2日)、5月中旬の手術枠が空いているとのこと。すぐに、その日をおさえてもらうことにしました。入院時か事前に家族への説明と同意がが必要とのことだったので、どうするかは家族と相談して連絡することにしました。必要な事前の検査は、入院前に現在の病院ですることとし、結果が有効とされる期間が長い心エコーの検査だけ、その日に受けて帰ることになりました。残りの検査は、家族と調整して手術日が確定したら、ということになりました。

 

 家族と相談したところ、入院初日に一緒に行って説明を聞いてくれるとのことだったので、その旨先生に連絡し、手術日が確定しました。そして残りの検査については、通院している病院で先生が外来診療でいらっしゃる日に受けることができました。

 あとは入院・手術に向けて、「健康保険限度額適用認定証」の申請などの準備を進めました。具体的に日程が決まったことで、ちょっとすっきりしました。

【片側顔面痙攣闘病記⑤】ボトックス注射2回目‐手術を検討し始める-

 1回目のボトックス注射から約2か月後に、2度目の注射。目が開けづらくなったことを伝え、打つ位置を調整してもらいました。その他、効き具合によって位置や量を調整してもらい、1回目よりも少し多い投与になりました。その分、顔の表情がなくなること、多少左右非対称になってしまうことの説明を受けました。マスク生活だからそれほど気にならないだろうと、痙攣の軽減を優先しました。

 

 前回、「10回ボトックスを打つまでに手術に向けた心の準備を」と言われて以来、諸々状況が許せば早く手術をしてしまおう、という気持ちになっていました。1回目のボトックスで目が開きにくいとか効き目にムラがある、とか、限界があることがわかったので。

 そこで、先生に「もし手術をしたい、となったらどういうスケジュールでどうしたらいいですか?」と聞いてみました。先生はやはり非常勤になっていたようで、手術するならここか別の病院、ここだったら主治医は別の医師になる、との説明でした。抜糸はここでもできるとのこと。入院は最短で5日でOKなど、簡単に話を聞き、先生の電話番号を聞き、「検討・調整して手術するなら連絡します、無理だったら次回予約日に来ます」と伝え、3か月後の注射の予約をしてきました。

 

 手術については、家族も「早くしてしまったら?」というスタンスでした。1月から勤務形態も変わったので、調整しようと思えば前より簡単に日程などの調整ができるようになったことも大きかったです。

 

 しかし、感染が拡大傾向となり医療もひっ迫している状況になってしまったので、命に関わらない“不急”の手術は控えることにしました。でも、手術については通っている病院ではなく、先生が勤務されている別の病院でする、ということは最初から迷うことなく決めていました。2年前の最初の受診の時の印象が尾を引いていて、別の先生が主治医になるのは嫌だな、と思ったからです。タイミングを見ながら、その病院や手術についての情報を色々と収集する日々でした。結果的に、3回目の注射の時に具体的に手術に向けて話が進んでいくことになりました。

 

【片側顔面痙攣闘病記④】初めてのボトックス注射

 専門外来受診の一週間後、署名済みの書類を持って、ボトックス注射を打ちに行きました。

 

 最初の注射なので、少量からとのこと。痙攣の状況を見ながら、また痙攣がよく出る箇所を確認しながらの注射となりました。

 目頭、目尻、目の下、頬の内側・外側、口元など、数か所。「少し痛い」と言ってくれるので、覚悟して我慢して…。と言ってもそこまで痛くはなく。

 注射終了後は、約2か月後の予約を取り退室。費用は、12,000円ぐらいでした。

 

 効いてきたかなーと感じたのは、3日後ぐらいでしょうか。まだ多少痙攣する箇所はあったけれど、それまでの痙攣からするとはるかに頻度が減っています。ただ、じわじわと効き始めた頃、目が開きにくい、という不具合が出てきてしまいました。「目が閉じなくなる」という情報は、事前に色々と調べていた時に目にしたけれど、開きにくくなるとは思わなかったのでちょっと困りました。でも、打つ前は痙攣がひどくて、自ら片目を閉じていることも多かったから、まあいいか、と思ってやり過ごしました。次回打つ時に相談するしかないかな、と。

 

 その不便も解消されたのは、注射を打ってから約1か月後ぐらいでしょうか。要は効果が切れてきた、ということ。11月下旬に打ち、12月下旬ごろには、目が開きにくいこともなくなってきました。痙攣の範囲が広範囲なので、完全に痙攣がなくなる、ということはその間もなかったように思います。とはいえ、何もしないよりははるかにましでした。ただ、筋肉がマヒしている状態なので、表情がやや不自然というか、表情が出ないというか、そんな感じでした。痙攣は軽くなるけれど、気になることは色々ある、ということ。

 

 そんなこともあって、すぐに手術について考えることになりました。前に情報収集をしていた時から、根治治療としての手術をぼんやり考えていたけれど、当時は信頼できる病院、医師のアテすらなかったので遠い話でした。専門医に出会えたこの頃には、先日の説明に背中を押されつつありました。次の受診予定は1月中旬。その時に手術について聞いてみよう、と思いました。

 

 

【片側顔面痙攣闘病記③】専門外来受診‐執刀医との出会い-

 受診後しばらくするとコロナ禍に突入してしまい、“不急”の通院は控えることとし、病院探しはほとんどしなくなりました。

 

 そして何度かの緊急事態宣言などが過ぎて、久しぶりに母と会えた時に母から「痙攣がひどくなったね」の一言。その頃には痙攣の頻度がさらに高くなり、目が開きにくい状況でもありました。それがきっかけで、再び病院探しを本腰入れて再開しました。2021年10月のこと。

 すると、2年前に受診した病院に、いつの間にか「ボトックス専門外来」が新設されていました。専門医だから前の医師とは違うし、MRI画像もあるし、というわけで、まずは予約の電話をしました。月2回、土曜日の午後のみで予約は取れたのですが、衝撃的なことが2つ。

 1つは、なんと担当の専門医が年内で退職予定で専門外来がなくなるらしいことを告げられました。「別の病院を紹介します」とのことだったので、それなら、と受診予約をしました。

 ※結果的に、先生は引き続き土曜の午後は非常勤で外来診療を続けています。受診時に医師からそのことについては何も言われませんでした。

 もう1つの衝撃的なこと。症状が出ているのは右側なのですが、なんとカルテには「左側」と書いてあることが発覚。電話の向こうの職員の方もびっくり。当時の消極的な医師のことを思い出し、あの時の残念な気持ちが思い出されてさらにちょっとイラっとしました。

 

 そして、電話予約から約3週間後ぐらい経って、専門外来を受診しました。ようやく名前を呼ばれて診察室入室。想像より若い医師で、「お待たせしました」ととても丁寧でした。そして「左…」とおっしゃるので、「実は右側なんです。カルテが違うみたいで」と言うと、「じゃちょっと待ってください。もう一度しっかり見ます」と言って、画像を見直していました。何気ないやりとりですが、その様子がとても誠実に感じられました。画像を見て合点がいった様子でした。そこで、「2年前の受診時にはこう言われた、痙攣の頻度が高くなった、専門外来ができていたので画像があるから、まずはこちらへ来てみた、ボトックス注射を打ちたい」といったことを話しました。

 

 それから、病気について、ボトックスについて、デメリットも含めて、とても丁寧にわかりやすく説明してくださいました。また、前回の医師の対応についても「同じ脳神経外科でも専門が違うと難しいことがある」こと、ご自身は専門であることなど、不安や不満を取り除くような姿勢が感じられました。

 また、「根治治療は手術であること、ボトックス注射は打ち続けると麻痺が残る恐れがあること、10回打つぐらいまでに手術に向けた心の準備、決断をしていただく、と考えていただくとよい」ということ、手術のことなどを、それはそれは明快に淀みなく説明してくださり、とても説得力がありました。職業柄、話し方や説明のしかたなどを研修で伝える立場でもあるので、話を聞いた時に「本当のプロかペテン師並みの説得力」と感心したことを覚えています。

 まずはボトックス注射を打つことを、その場で決断し伝えました。翌週土曜日に打つことがすぐに決まり、退室。翌週は専門外来の日ではないけれど、先生の診療はあるようで、こちらの都合に合わせて午前中の無理な希望も受けてくださいました。退室後、看護師さんから書類をいただき、説明を受け帰宅しました。

 

 がっかりした2年前の受診から一転、とてもすっきりした気持ちでした。根治治療ではないけれど、ボトックス注射を打つことでこの痙攣が少しでも軽減されるのか、と思うと、スキップしたくなるくらい。私にとっては、とても信頼できる医師との出会いであったことも、とても嬉しい出来事でした。一週間後のボトックス注射がとても楽しみになりました。

近江商人「三方よし」の「売り手よし」の売り手とは?


 近江商人の「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」を知ったのは、NPO法人顧客ロイヤルティ協会の「CS基礎講座」(現在は「顧客ロイヤルティ(CS)講座」として継続開催)でした。かれこれ15年ぐらい前のこと。

 最近、経営理念などで広く「三方よし」が使われているのを見ますが、「売り手」が“自社”を指していることが多く、ずっと違和感を持っていました。なぜなら、「売り手」というのは『近江商人に商品を売ってくれる人』と教わったと記憶していたからです。自分の利益のために売り手から安く買い叩いたりすることなく、「売ってくださる人にも利益が出る、よいことがある取引をする、売り手のことを考える」、これを「売り手よし」というのだ、と解釈、理解していました。「売り手」とは、商品を売る“自分(近江商人)”ではなく、“売ってくれる人”なのだと。

 

 もちろん、企業として自社の利益を追求することも大切。社会的役割を果たすために存続しなくてはならないから利益は必要(「儲けねばならぬ」も近江商人の哲学です)。でも、「売り手よし 買い手よし 世間よし」と、売り手がまず最初に来る“自分ファースト”のような表現と近江商人の哲学とのギャップもあって、ずっともやもやしていました。先日、理事長に直接確認してすっきりしました。「売り手」とは「売ってくださる人」でいいのだと。

 インターネット上では、ほぼ「売り手=自社」となっているけれど、もうあまり気にせずに伝えていこう、と思いました。インターネット上では色々な情報を目にします。もしも専門に研究されている方などから、「本当はこうだよ」といったご意見などをご教授いただけたら嬉しいです。

 

 ところで、「近江商人の商売十訓」というものがあります。そのうちの一つに「無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ」というものがあります。知床の事故の時に運営会社の社長が「お客さんが乗りたいから」と言っていたのをニュースなどで聞いて、この言葉を思い出しました。いくら乗りたいと言われてもお客様のためにならないならば乗せてはいけないはず。この場合は、「命」がかかっているから当然だけれど、例えば似合わないのに売るとか、実はたくさんあるだろうなと思いました。「近江商人」については、もっとちゃんと研究してみたいと思います。

【片側顔面痙攣闘病記②】痙攣の進行から初めての受診まで

 発症から3年近く経過したころ、痙攣はあごまでに広がりました。ネットで色々調べてみても、「根治は手術」「ボトックス注射」といった情報を多く目にしました。まずは、脳神経外科へ行こう、と決めたのは2019年10月のこと。

 2019年8月から東京都内にも拠点を持つこととなり、生活も落ち着いたタイミングで近所の総合病院の脳神経外科へ行きました。まだ専門外来はありませんでした。

 

 担当医師は淡々と私の話を聞き、その日はCT撮影をしました。原因は「加齢による動脈硬化で血管が移動し、顔面神経に触れている」との説明。詳しくはMRIを撮ってからとのことで、翌週に撮影予約を入れました。医師は、治療方法について簡単に、とても簡単に説明をし、「命に関わる病気ではないから」と治療にはとても消極的な印象を受けました。内服薬として、てんかんの薬が「まれに効く場合がある」としたうえで、必要かどうかを聞かれました。その“まれ”に当たればいいな、という思いから薬を出してもらうことにしたけれど、あまりにも「命に関わる病気じゃない」を強調するような消極的な姿勢に、かなりがっかりしてきたことを覚えています。

 

 この日は薬を出してもらったのだけれど、その処方箋が薬局ではあまり置いていない量の処方で、すぐには手に入らず、結局病院近くまで戻って薬局で1粒を半分に割ってもらう作業の後にようやく薬が手に入る、という二重に残念な一日となったことを覚えています。

 処方された薬は「ガバペン」(だったと思う)。飲んでみたところ「効いたかなー…、どうかなー」という程度。でも、かすかな望みにかけて飲み続けることにしました。結果、あまり効かなかったけれど。

 

 翌週、MRIを撮影すると、血管と顔面神経の接触が確認されました。医師はやはり「命に関わる病気ではない」を繰り返し、その後の治療については何も説明がなく、薬が欲しい時にはまた来てください、と言われ、本当にがっかりして帰ってきました。一応、薬はもう一度出してもらいました。

 

 患者の立場としては、「命に関わらないから安心」というわけではない。職業上の立場(講師・コンサルタント)上、とても困る。だから病院に行ったのに。仕方がないので別の専門外来を探すことにしたけれど、実際には後回しにしてしまいました。変わらず痙攣の日々が続いていきました。痙攣の頻度が少しずつ高くなっていき、そのうち目も見にくくなったりしていきました。そしてコロナ禍へ突入し、病院探しはさらに後回しになっていきました。